いつも、ちょけたブログばかり書いている私「桂馬」ですが、本日は珍しく!?ちょっといい話です。
昨夜、歩が寝静まった後、ソファで寝ころびながら、今週のサピックスの国語のテキストを読んでいました。
『15メートルの通学路』権田純平
【あらすじ】
事故や病気で入院していて小学校に通えない子供のために、病院訪問教育を行っている権田純平さんの随筆です。
担当していた優香は、聡明で元気な小学校1年生。筆者は数カ月すると元気になって退院するのものだと思っていたのだが、彼女の母親から実は脳腫瘍で助からない命だということを知らされる。優香の死を通じて教育とは何か、命とは何かを考えます。
思わず、胸が熱くなり目が潤んでしまいました。
同じ年代の子供を持つ親としては、あまりにも重く、いろんなことを考えさせられるお話でした。
それと同時に、こんな深い内容のお話を小学生の授業で扱うんだとも驚きました。
そして、この話を読んで、私の中学時代の担任の先生のことを思い出しました。
私の中3のときの担任の先生は、50歳くらいの国語の先生でした。
頭皮が薄く、生徒の間ではひそかに「ハーゲンダッツ」というニックネームで呼ばれていました(笑)
ある日の授業のことです。
あの名作「字のない葉書」を扱ったときのことです。
いつもの授業と同じように先生が朗読していました。
すると・・・
突然「ハーゲンダッツ」が
「すまん・・・。わし、もうあかんわ・・・。我慢でけへん・・・。」と号泣しだしたのです。
突然の出来事に、生徒たちは目が点・・・。
しばらく何とも言えない空気が教室に充満していましたが、クラスの不良っぽい生徒が沈黙を破り、「ハーゲン、なに泣いとんねん!!」と言うと、クラスは大爆笑に包まれました。
「ハーゲンダッツ」は他のクラスでも同じように号泣し、その週はいろんなクラスで泣きまくっていたようです。
「ハーゲンダッツ」の涙は、当時はただの爆笑エピソードとしての意味しかありませんでしたが、30年の時を経て、私に語り掛けてくれているように思います。
おそらく、多くの小学生(特に男子)は「15 メートルの通学路」という作品を読んでも「ふ~~ん」で終わりでしょう。
でも、10年後、20年後、30年後にふとしたことで思い出して、何かを感じてくれればいいなと思います。
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